キャリアカウンセリング カウンセリング 女性のためのライフ&キャリアカウンセリング・サービス 【ユア・ライフ&キャリア(Your Life&Career)】 カウンセラーず・コラム

カウンセラープロフィール
カウンセラーズコラム
メルマガ登録





 

No.4 「生ましめんかな」…原爆詩人 栗原貞子さんの詩から学ぶこと

原爆詩人だった栗原貞子さんが亡くなった。92歳だった。

栗原さんは32歳のとき、爆心地から約4キロの自宅で被爆し、以後、反戦と平和を訴え続け、その思いを詩の中に託した人だった。

被爆した夜、多くの被爆者達が集まったビルの地下室で、被爆した重症の産婆(助産士)の老婆が、一人の赤ちゃんを自らの手でこの世に送り出した。その時の感動を彼女は以下の詩に託した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「生ましめんかな」

こわれたビルディングの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは ローソク一本ない暗い地下室をうずめいていっぱいだった
生まぐさい血の匂い 死臭 汗くさい人いきれ うめきごえ

その中から不思議な声がきこえてきた
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ
この地獄の底のような地下室で 今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ一本ないくらがりで どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です、私がうませましょう」と言ったのは 
さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で 新しい命は生まれた
かくてあかつきを待たず老婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨てつとも

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はこの詩を読んだとき、いたく感動した。地獄の中でも人々がこの産婦を気づかったということや、ひどい状況下でも新たな命が誕生したという事実に対してのみではない。この産婆(助産士)が命がけで自らの天職をまっとうしたことにである。

この産婆がどのような気持で、助産士をやっていたのかは、分からない。ただの「仕事」(JOB)としてやっていたのか、それとも天職やミッションと感じて助産士をやっていたのかは今でははかり知ることはできない。

でも・・・自分も負傷し苦しみの中ででも、地獄のような状況の中にいても、自らの職務をまっとうしようとした、この老婆の姿勢に、私はいたく感動した。おそらくこの老婆は、自分の置かれている状況や自らの状態など、様々のことを考えて、助産士としての役目を引き受けたのではないだろう。むしろ、頭より体が、心が先に動いて、行動していたのだと思う。これこそ本物の『仕事人』としての姿であり、プロフェッショナルな人間である、と言えるのかもしれない、とふと思った。

このような特殊な状況に置かれた中でのことで、YLCで提唱している「キャリア」の概念を置き換えることはできないかもしれない。でも何人の人が、このような地獄のような状況の中で、自らの命と引き換えにしても自分の職務(キャリア)をまっとうできるだろうか。

この老婆の助産士は、心から体から既に助産士だったのだろう。だからどのような状況のときにでも、体が先に反応し、行動に移していたのだろう。例え、自らの命を捧げることになったとしても・・・

ナチス・ドイツの体制下で、アウシュビッツなどの収容所の過酷な生活の中で生き延び、自らの体験を手記にした精神科医ヴィクトリア・フランクルも、かれの著作「夜と霧」の中で様々なことを述べている。中には、彼が自殺願望の強かった同じ収容者仲間に自殺を思い留まらせた経験をつづった箇所がある。彼はその収容者に「やり残した仕事」を思い出させ、自殺を思い留まらせたという経緯なども興味深い。

「仕事(キャリア)」が個人の生にも死にも影響する。物凄いことだ。そして私たちの中で何人が、そんな風に自分のキャリアに命を注ぎ込めるのだろう。

(2005年7月25日)

コラム一覧へ戻る